控えめ過ぎる二十一箇条要求
2ndシリーズ⑨「平和ボケ」日本の幕開け
ただし、日本外交史上の汚点といわれる理由が、別のところに確かに存在します。時の外務大臣・加藤高明が袁世凱と交渉しているときに、袁世凱が「すみません、私の立場がなくなるんで、最後通牒の形式で突き付けてくれませんか。そうしてもらえたら仕方なく、ということで言い訳が立ちますんで」と言いだします。そこで加藤外相は、お人好しにも袁世凱の望み通りに最後通牒を突き付けました。
すると袁世凱はプロパガンダに出ました。秘密にすると話が通っていたはずの七箇条の希望の部分を「最後通牒でこんなことを言われた」と国際社会に公開したのです。日本は五項目に分けて要求したのですが、その中で第五項が七箇条の希望にあたっていて、それで一般的には「第五項問題」とも言われます。
秘密交渉を逆手に取られてまんまとプロパガンダに利用されたという点で、まったくの汚点です。明治生まれの外交官にして外交史研究家の鹿島守之助氏の大著に『日本外交史』(鹿島研究所出版会、一九六五年)全四十巻があります。幕末から始まり、淡々と史料を紹介しているだけなのですが、二十一箇条要求の項になったとたん、突如として加藤外相に対する筆誅【ひっちゅう】を加え始めています。
(『学校では教えられない 歴史講義 満洲事変 ~世界と日本の歴史を変えた二日間 』より抜粋)
次回は、シリーズ⑩日本外交史の金字塔!石井菊次郎とロンドン宣言加入の価値(最終回) です。
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